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クラクフの歴史地区

Historic Centre of Krakow

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IMG_5399 / Andrzej Wrotek

歴代ポーランド王が暮らし繁栄した街クラクフ

ポーランドの南部、スロバキアと隣接するマウォポルスカ県にあるクラクフは、第2次大戦の戦火を逃れ、中世の町並みが今でも色濃く残り、かつてポーランドの首都として繁栄した美しい都市である。

クラクフの名前は伝説の王クラクスに由来しているという。クラクス王の統治時代、現在ヴァヴェル城が建つ丘陵地帯には獰猛な竜が住んでいた。その竜は特に女性を好んで襲い、とうとう村の女性がクラクス王の娘ヴァンダただ1人になってしまった。クラクス王は困り果て、「もし竜を倒すことができたら娘と結婚する権利を与える」と約束した。街の内外から集まった多くの勇敢な騎士たちが戦いを挑むも全員失敗してしまった。そこに現れたのが靴屋の見習いの少年。硫黄を盛った子羊を竜のすみかの前に置き食べさせることに成功する。強烈な喉の渇きに襲われた竜はヴィスワ川の水を大量に飲み込み破裂、少年は見事に竜を退治してみせた。その後、少年と女王ヴァンダは結婚して幸せに暮らし都市は自由を手に入れ繁栄した。というエピソードが残されている。あれ?活躍したのはクラクス王ではなくて少年ですね。。。現在、ヴァヴェル大聖堂の入口には、退治した竜の骨(おそらくマンモスの骨)が展示されている。

都市の起源は、スラヴ系のヴィストラント族がヴァヴェルの丘に定住していた7世紀まで遡る。10世紀、ミェシュコ1世がピャスト朝を創設、その息子であるボレスワフ1世の時代にポーランドは国家として認められた。1038年にカジミェシュ1世がポズナニからクラクフへ遷都。1596年にワルシャワに遷都されるまでの558年間ポーランドの首都として繁栄した。
13世紀には、3度に渡りモンゴルの侵攻を受けクラクフの街は完全に破壊されてしまった。モンゴルの侵略以降、クラクフは、外部からの攻撃に備え、46の塔と7つのメインゲートを備えた周囲3kmにわたる城壁(防御壁)を造り街の守備を固めた。19世紀にはいると、城壁は不要となり一部を残して取り壊され、その跡地は現在、プランティ公園(Planty Park)として市民に利用されている。

第2次世界大戦が始まると、クラクフはナチスドイツ軍に占領され、ヴァヴェル城はポーランド総督府として使用された。ヤギェヴォ大学の教授たちの多くは不当に検挙され、クラクフ近郊のプワシュフとアウシュヴィッツ強制収容所に移送された。クラクフに居住していた多くのユダヤ人も、強制収容所に連行され、そのほとんどは虐殺された。いまだにはっきりしていないが、およそ600万人がホロコーストによって命を奪われたと言われている。スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」の舞台となった琺瑯(ほうろう)工場は、いまでも現存しており歴史記念館として公開されている。

旧市街には、中央市場広場を中心に、ヴァヴェル大聖堂と王宮、聖マリア大聖堂、聖ペテロ&パウロ教会、織物会館、ヤギェヴォ大学など、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式などで作られた時代を超えた歴史的建築物が混在している。

1978年、クラクフの旧市街は世界遺産登録基準(ⅳ)が認められ、最初の12箇所のうちの1つに選ばれた。

クラクフの歴史地区の観光スポット

ヴァヴェル城(Wawel Castle)

Wawel Cathedral and castleWawel Cathedral and castle / Jorge Lascar

旧市街の南、ヴィスワ川沿いの小高い丘に建つヴァヴェル城は、カジミェシュ3世の命令で建てられたイタリア風の中庭の周りに建てられたゴシック、ルネサンス様式が入り交じったいくつかの建造物で構成されている。

ヴァヴェル城
住所:Wawel 5, 31-001 Kraków
開館時間:施設、時期によって異なる
休館日:1月1日、イースター・サタデー、イースター・サンデー、11月1日、11月11日、12月24日、12月25日、月曜日(11月1日〜3月31日)
入場料:施設ごとに入場料が異なる
URL:https://wawel.krakow.pl/en

中央広場/リネク・グウヴヌィ(Main Square / Rynek Główny)

Adam Mickiewicz Monument - Main SquareAdam Mickiewicz Monument - Main Square / Jorge Lascar

中央広場(ポーランド語:Rynek Główny)は、旧市街の中心にあり、総面積は40,000m2で中世から残る広場としてはヨーロッパ最大級である。13世紀、モンゴル人の攻撃によって破壊された後に、旧市街は現在の形に設計された。

広場の中央にはルネサンス様式で再建された織物会館(Sukiennice)が鎮座、その他に、旧市庁舎塔(市庁舎本体は19世紀に破壊されてしまった)、聖ボイチェフ教会、アダムミケーヴィツィッツ(Adam Mickiewicz)の記念碑もある。

広場に隣接する聖マリア大聖堂(KościółMariacki)も有名で、ファイト・ストーシュによって描かれた祭壇画は一見の価値がある。Grodzka通りにある聖ペテロ聖パウロ教会は、その前に並ぶ荘厳な12人の使徒像が特徴敵な初期バロック様式の傑作です。

広場の周りを囲む古いレンガで作られた建物と宮殿は、そのほとんどが数世紀前に建てられたもので、その1階にはカフェやレストランが並び賑わいを見せている。

織物会館/スキェンニツェ(Sukiennice)

SukienniceSukiennice / Jorge Lascar

旧市街、中央広場の中心にある織物会館は、かつて国際貿易の中心地であったクラクフで、商売の拠点として栄えた。「スキェンニツェ(Sukiennice)」とは「布の貿易」のことを意味しているが、ここクラクフの織物会館では織物だけではなく蝋(ろう)、香辛料、皮革などの買取や、近郊にあるヴィエリチカ鉱山で採れた岩塩などの販売も行われていた。

12世紀頃、2列の石積みの屋台で布や繊維の販売をしていたのが織物会館の始まり。その後、屋台の上に屋根が取り付けられアーケードのような形になり、14世紀後半にはゴシック様式の建物に拡張された。1555年の火災で消失した後、イタリアの彫刻家であり建築家のサンティ・グッチらによってルネサンス様式の建物に改修された。16世紀の終わりに首都がワルシャワに遷都したことや、ポーランド分割があったことから都市の衰退が急速に進み、織物会館も荒廃していった。

1870年、長い間放置され老朽化していた建物をヤン・マテイコの弟子であるTomasz Prylińskiのデザインに基づき、ネオゴシック様式の吹き抜けと屋外のアーケードを持つ現在のものに改修された。

Interior of the Sukiennice in Main SquareInterior of the Sukiennice in Main Square / Jorge Lascar

現在、1階のアーケードにはお土産物屋が並び、2階は博物館として利用されており、ヤン・マテイコ、ヘンリク・シェミラツキ、ヤチェク・マルチェフスキなどのポーランド人作家の作品が多数展示されています。

織物会館/スキェンニツェ/Sukiennice/Cloth Hall
住所:Rynek Główny 1-3, 30-001 Kraków, Poland
開館時間:火〜日(10:00〜18:00)
休館日:月

聖マリア教会(Church of St. Mary)

St. Mary Basilica
St. Mary Basilica / Jorge Lascar

聖マリア教会は、中央広場に東側に隣接するゴシック建築の教会です。最初の建物は1221年、木造の教会の跡地に建てられたが13世紀に起きたモンゴルのポーランド侵攻により破壊される。14世紀、カジミエシュ3世の時代に教会は再建され、15世紀にはサイドチャペルや2つの塔が追加され現在の形になった。
高さの違う2つの塔には建設にまつわる逸話がある。その塔の建設は2人の兄弟に依頼された。それぞれの塔の建築に着手した2人だったが、自分のよりも高い塔を完成させた弟に嫉妬した兄が弟をナイフで刺し殺してしまった。その後、兄は塔を完成させ、教会に奉献した直後、罪の意識にさいなまれたのか弟を殺したナイフで自分の心臓を突き刺し塔から飛び降りたという。その時に使用されたナイフは現在も織物会館のアーチで見ることができる。

正面向かって左側の高さ80mの高い方の塔からは1時間毎にラッパの演奏が行われます。この演奏は13世紀当時、見張りの兵士が監視塔からモンゴルの襲来に気づき、緊急を知らせる合図であるラッパを鳴らしたところ、モンゴル軍の放った矢が喉に刺さり息絶えた。曲が途中で突然止まる演出は、この時のことを表現している。バグル・コールはクラクフの音楽の象徴となり、現在も塔から鳴り響きます。もう一つの低い方の塔(69m)には5つの鐘があり、最も古い鐘であるポー・ジグムント(Pół-Zygmunt)は15世紀にまでさかのぼります。レンガ造りの素朴な外見とは対象的に内部はカラフルに彩られている。

聖ヴォイチェフ教会(Church of St. Wojciech)

Church of St. WojciechChurch of St. Wojciech / Lars K. Jensen

中央広場の南東の角にある聖ヴォイチェフ教会はポーランド最古の教会です。10世紀に木造で建てられ、11世紀にロマネスク様式で再建、その後増改築を繰り返し、現在ではロマネスク、ルネサンス、ゴシック様式などが融合した造りになっている。
名前の由来は、プラハの聖アダルベルト(ポーランド語でヴォイチェフ)からきており、彼がプルシアに宣教に行く途中に立ち寄り、説教したのがこの場所だと言われている。

旧市庁舎塔(Town Hall Tower)

The Tower of the Old Town HallThe Tower of the Old Town Hall / y entonces

織物会館の南に建つ石灰岩とレンガで作られた高さ70mの旧市庁舎塔は、1820年に都市計画の一環で取り壊された市庁舎で唯一現存する部分です。1703年に発生した嵐の影響で約55cm傾いている。現在は歴史博物館として利用され、中世の衣装や写真などを展示。牢獄として使用されていた地下室は、カフェと劇場になっている。

ヤギェウォ大学(Jagiellonian University)

2009-03-13 03-16 Krakau 215 Collegium Maius
2009-03-13 03-16 Krakau 215 Collegium Maius / Allie_Caulfield

ヤギェウォ大学は旧市街の南西部にある中央ヨーロッパではプラハのカレル大学に次いで古い大学。1364年にカジミエシュ3世によって創立された。元々は「クラクフアカデミー(Kraków Academy)」と呼ばれていたが、カジミエシュ3世の死後、見放され古くなった大学を再建したヴワディスワフ2世ヤギェヴォにちなんで変更された。著名な卒業生には、数学者で天文学者のニコラウス・コペルニクス、ポーランド王ヤン3世、教皇ヨハネ・パウロ2世、画家のヤン・マテイコ、ノーベル文学賞受賞者のイヴォ・アンドリッチ、ヴィスワヴァ・シンボルスカなどがいます。大学図書館はポーランド最大のもので、コペルニクスの「デ・レヴォリューション」を含むいくつかの中世の写本やモーツァルトやショパンの楽譜を収蔵しています。コレギウムマイウス(Collegium Maius)は、現存する最も古い建物で15世紀後半に建設された。

ヤギェウォ大学
住所:Gołębia 24, 31-007 Kraków
URL:https://en.uj.edu.pl/en

プランティ公園(Planty Park)

Statue in PlantyStatue in Planty / Fearless Fred

プランティ公園は、旧市街をぐるっと1周取り囲む総面積21万m2、長さ4kmの円形の公園である。19世紀前半ポーランド分割後のオーストリア占領中、フランツ1世の命令により13世紀の防衛要塞は堀が埋められ、フロリアンスカ門(Floriańska Gate)とバルバカンを除いて壁と塔は破壊された。その跡地に徐々に木々が植えられ、1820年代には8つの異なるスタイルをもつ公園へと変貌した。

プランティ公園
住所:Planty, 30-001 Kraków

フロリアンスカ門(St. Florian Gate)

St. Florian GateSt. Florian Gate / Jorge Lascar

旧市街北部にあるフロリアンスカ門は、都市の大部分を破壊した1241年のタタール攻撃の後、1307年にクラクフ周辺を守る城壁の一部として建設されました。聖フロリアンにちなんで名付けられたその門は、旧市街へのメインゲートとなり、ヴァヴェル城へと続くロイヤルロードの起点でもある。1660年に建設され、1694年に改築された高さは33.5メートルのバロック様式の塔の南面には、聖フロリアン(St. Florian)の彫刻が施されています。塔の北面には、画家ヤン・マテイコのデザインに基づいて、ジグムント・ラングマン(Zygmunt Langman)が1882年に作ったワシが飾られている。かつて47の塔と8つの門があった高さ10m、幅2.5mの城壁は、フロリアンスカ門を除いて19世紀に解体、深さ8m幅22mの堀も埋められ現在はプランティ公園として利用されている。

バルバカン(Barbican)

BarbicanBarbican / tbertor1

クラクフ旧市街の北部にあるバルバカンは、モンゴルの攻撃から街を守る目的で建設されたゴシック様式の要塞で、1499年に建てられた。周囲を幅30mの堀で囲まれ直径24.4メートルの中庭と7つの塔を備えた円筒形の煉瓦構造。厚さ3メートルの壁には130個の矢狭間があり、弓兵や狙撃手が使用していた。現存するバルバカンは、ワルシャワ(ポーランド)とカルカッソンヌ(フランス)とここクラクフの3つのみで、クラクフのものが最も保存状態がよい。

カジミェシュ(Kazimierz)

DSCN1349
DSCN1349 / phil barker

ユダヤ人街

クラクフの歴史地区の登録基準

登録基準(ⅳ)
クラクフは、その町並みと個々のモニュメントの両方において、卓越した品質の都市建築物の集まりである。街の歴史的中心部は、中世から教まで続く都市の成長過程を見事に物語っている。

クラクフの歴史地区へのアクセス方法

Polish Airlines
Polish Airlines / Kuba Bożanowski

ポーランド航空が週に3便(月・木・日)、成田ーワルシャワ間の直行便を運行している。フライト時間は11時間30分。ワルシャワからクラクフまではおよそ1時間。待ち時間もあわせて最短で13時間20分。運賃は片道6万円台から。ただし口コミを読む限り評判はあまり良くない……

ワルシャワからは電車移動も可能で、乗車時間は2時間〜2時間30分。運賃は2等車であれば2000円くらい。ポーランド鉄道のサイトから事前予約できます。



クラクフの歴史地区周辺のホテル情報

中央広場周辺のホテルは1,000〜20,000円くらいの価格帯です。

最安値はキャットホステル(6人部屋)。中央広場周辺のホテル・ヴェンツェル(Hotel Wentzl)ホテル・ジャンは、1泊10,000〜20,000円くらいで宿泊できる。

旅の予算

往復航空券
ポーランド航空
成田→ワルシャワ→クラクフ(120,000円/13時間20分)
成田→ワルシャワ(120,000円/10時間40分)

中国国際航空+ルフトハンザ航空
成田→北京→ミュンヘン→クラクフ(90,000円/23時間30分)

列車
ワルシャワ→クラクフ(70〜140PLN(2,000〜4,000円)/2時間40分)

宿泊費
クラクフ4泊:10,000✕4=40,000円

ツアー代金
【ベルトラ】アウシュヴィッツ強制収容所 日本語アシスタントがしっかり解説!日帰り見学ツアー(90.59EUR〜)
世界遺産ヴィエリチカ岩塩坑と聖キンガ礼拝堂 半日観光ツアー<クラクフ発>(50EUR〜)

合計130,000〜177,000円(参考価格)

基本情報

ポーランドの基本情報

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