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サマルカンド 文化交差路

Samarkand - Crossroad of Cultures

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ティムールの栄華が蘇る「青の都」サマルカンド

サマルカンドはウズベキスタン南東部、ザラフシャン川流域に位置し豊富な天然資源に恵まれたこの都市は、かつて地中海と中国を結ぶシルクロードの要衝として栄えた。発掘調査では、4万年前に人間が活動していた痕跡が発掘されたが、定住が始まったのは紀元前8世紀から7世紀だと言われている。「サマル = 人々が出会う」、「カンド = 街」という意味がある。

紀元前329年、アレクサンドロス大王によって征服され、ギリシャ人にはマラカンダと呼ばれる。征服時に都市は破壊されるが、もともとあったオリエント文化とアレクサンドロス大王によってもたらされたギリシャ文化が融合しヘレニズム文化のもと繁栄した。

その後は260年にサーサーン朝、712年にウマイヤ朝、750年にアッバース朝、819年にサーマーン朝、1000年にカラハン朝、1089年にセルジューク朝、1141年にカラハン朝、1210年にホラズム・シャー朝の支配下に入る。

1218年、チンギス・ハンが派遣したムスリム商人をホラズム・シャー朝君主ムハンマドが450人全員を殺害したことを契機にモンゴル帝国が征服に乗り出す。1221年、マーワラーアンナフルと呼ばれるオアシス地域一帯はモンゴル帝国チンギス・ハンに攻撃され、住民のほとんどが虐殺され、都市は壊滅状態に陥った。残念ながらチンギス・ハン以前の美しいサマルカンドの歴史的建築物はすべて破壊された。かつて街の中心だったアフランシヤブの丘で発掘された遺物は、近くのアフランシヤブ博物館で見ることができる。

1370年、トルコ・モンゴル系のティムールがティムール朝を建国し、首都をサマルカンドに遷都。都市の中心地をチンギス・ハンに破壊された市街地北東部にあるアフランシヤブの丘からレギスタン広場に移し、町の中央に大通りを作り、道路沿いに店舗を並べ、経済を発展させることに成功した。そしてティムールの好きだった青色でモスクや霊廟を建築し町全体が美しい「サマルカンド・ブルー」で統一され、青の都、イスラムの宝石、砂漠の真珠、東方の真珠などと呼ばれている。

ティムールの死後は、孫のウルグ・ベグが1449年に長男のアブドゥッラティーフに暗殺されるまでマドラサ(神学校)や天文台、公共施設を作り帝国の発展に貢献した。

1507年ティムール朝崩壊、シェイバニー朝が支配。首都はサマルカンドからブハラに移り、海運が発達しシルクロードの重要性が低下したことによりサマルカンドは衰退していった。

世界遺産基準(ⅰ)(ⅱ)(ⅳ)が認められ、2001年に世界遺産に登録された。

サマルカンドの観光スポット

レギスタン広場

Registan Complex
Registan Complex / D-Stanley

レギスタン広場は、ウズベキスタンのサマルカンドにある有名な歴史的遺跡であり、15世紀から17世紀にかけて、かつて中央アジアを支配したティムール朝の支配者によって建設されました。レギスタンとは、ペルシャ語で「砂の場所」を意味し、その歴史を通じて王室の儀式や市民の集会など、重要なイベントの中心地となってきました。広場には、4つのイスラム教のマドラサがあり、その中でもウルグ・ベク・マドラサは、宇宙や数学の研究で知られるウルグ・ベクが建てたもので、ウズベキスタンでもっとも有名なマドラサの一つです。レギスタン広場は、ウズベキスタンで最も美しい場所の一つとして知られ、特に夕暮れ時にはライトアップされた建物が幻想的な雰囲気を醸し出し、美しい夜景を楽しむことができます。

レギスタン広場 / Registan Square
住所:Registon ko'chasi, Samarqand
開館時間:9:00~19:00(冬期9:00~17:00)※マドラサの開館時間。広場は自由に散策できます。
入場料:30,000スム(¥320)

ウルグ・ベク・マドラサ(左)

Samarkand, Registan, Ulugh Beg Madrasah
Samarkand, Registan, Ulugh Beg Madrasah / Arian Zwegers

ウズベキスタンのサマルカンドにあるウルグ・ベク・マドラサは、ティムール朝時代の著名な学者・天文学者・建築家であるウルグ・ベクが1420年に建設した歴史的な建造物である。このマドラサは、宗教、科学、数学などを学ぶことができるイスラム研究のための学校として設計されました。4つのイワーンを備えた二階建ての建物であり、イスラム教の学生たちが宿泊し、講義や学習を行う場所であった。
内部には、講義や祈りのための礼拝堂があり、装飾された彫刻や陶器、タイルなどの美術品が並んでいます。現在ウルグ・ベク・マドラサの中庭ではアート教室や土産物屋が軒を連ねている。

※「イーワーン」とは、イスラム建築で見られる、一方の面が開いたアーチ型の玄関ホールを指します。

シェル・ドル・マドラサ(右)

Samarkand, Registan, Sher-Dor Madrasah
Samarkand, Registan, Sher-Dor Madrasah / Arian Zwegers

シェル・ドル・マドラサはレギスタン広場の東側に位置し、ウルグ・ベク・マドラサと向かい合うように建っている。ブハラを首都とするジャーン朝の軍事総督だったヤラングトゥシュ・バハダールによって建設された。17年の歳月をかけて1636年に完成。
マドラサのある場所はもともとスーフィーの宿舎として使われていた小さな建物が建っていた。ヤラングトゥシュはこの建物を取壊し、現在のマドラサに建て替えた。
レイアウトと外観はウルグ・ベクとよく似ているがモスクは併設されていない。また西面の隅の教室の上に2つのドームがあるのもウルグ・ベクとの違いである。
その他、ウルグ・ベク・マドラサと異なるのはファサードの装飾で、ウルグ・ベクが星のような幾何学的模様を使用したのに対し、シェル・ドルは鹿を追う背中に太陽が描かれた2頭のライオンを使用している。イスラム教とって、生きた動物や人間を描くことは禁忌であり、議論あったとされている。

ティラカリ・マドラサ(中央)

Tilya-Kori madrasah

ティラ・コリ・マドラサもヤラングトゥシュ・バハダールの時代に建てられたもの。レギスタン広場の北側に位置し、シェル・ドル・マドラサが完成してから10年後の1646年に、同じく老朽化していたミルゾ・キャラバンサライ(商隊宿)の跡地に建設を命じた。
青いドームを持つモスクは十字型のプランで美しく装飾されたミフラーブと11段の大理石でできたミンバール(説教壇)が特徴的。モスクの内壁とクーポラには金色の装飾(ティラ・コリ)が施されており、マドラサの名前の由来となっている。

※ミフラーブとはイスラム教のモスクでムスリムが礼拝を行う際に向かう方向を示すニッチ(壁龕)。通常、壁の中央に位置し、装飾が施されたアーチやドームで覆われている。また、ミフラーブは、聖地メッカのカーバ神殿への方向を示しており、礼拝の際にムスリムは、ミフラーブの方向を向いて祈りを捧げる。

グリ・アミール廟

Guri Amir Mausoleum, Samarkand
Guri Amir Mausoleum, Samarkand / travelourplanet.com

グリ・アミール廟は、14世紀末から15世紀初頭にかけてティムール朝を興したティムールや彼の子孫、側近たちが埋葬された建物である。この建物はもともと、神学校「マドラサ」と聖職者たちの住宅「ハナカ」があった場所に建てられたが、ティムールの孫であるムハンマド・スルタンの戦死を偲んで墓所となったと言われている。
1405年、中国での軍事作戦中にタメルランは病に倒れ死亡した。故郷のシャフリサブズには先に立派な霊廟が建てられていたが、ティムールは孫のムハンマド・スルタンと一緒に安置された。
やがて、ティムールの師であったサイード・バラカや孫のウルグ・ベグ、息子のシャー・ルフなどが彼に隣接する墓所に埋葬され、ティムール朝の王家や側近たちの墓所として知られるようになった。

グリ・アミール廟 /
住所:1/4, Universitetskiy Boulevard Бўстонсарой кўчаси, Samarqand
開館時間:9:00〜19:00
入場料:25000スム(¥300)

シャーヒ・ズィンダ廟群

Samarkand, Shah-i-Zinda
Samarkand, Shah-i-Zinda / Arian Zwegers

シャーヒ・ズィンダ廟群は、サマルカンド市内にある11世紀から19世紀にかけて建てられた複合墓地。名前の由来は、預言者ムハンマドの従兄弟であるクサム・イブン・アッバースが、7世紀のアラブ人の侵略と共にサマルカンドに到来し、ここでイスラム教を説いたという伝説に由来しています。
この複合墓地は、ティムールやウルグ・ベクの時代にその現在の形を整えたとされている。最も有名な霊廟は、ティムールの時代、14世紀に建てられたティムールの姉妹の墓で、美しいタイルワークが施されています。他にも、ティムールの孫であるウルグ・ベクの妻の墓など、多くのマウソレウム(墓)があります。

シャーヒ・ズィンダ廟群 / Shah-i-Zinda
住所:MX7Q+257, M-37, Samarkand,
開館時間:8:00〜20:00(冬期9:00〜17:00)
入場料:2万スム(¥240)

ビビハニム・モスク

Bibi Khanum Mosque, Samarkand

ビビ・ハニム・モスクは、14世紀にティムール朝の時代に建設されました。この時代はティムールが支配する帝国が最も強力で影響力を持った時期でした。ビビ・ハニムはティムールの妃であり、尊敬を受けた人物でした。このため、モスクはビビ・ハニムにちなんで命名されました。建設には数万人の労働者が携わり、大理石や金、宝石などが大量に使用されました。この結果、イスラム世界で最大かつ最も壮大なモスクの1つが建設されました。中央にある圧倒的なドーム、高いミナレット、美しいタイルワークや装飾が特徴的です。
モスクを訪れる人は、美しい建築的特徴や細部に満ちた広大な中庭、通路、礼拝堂を探索することができます。モスクの中央ドームは特に印象的で、高さ40メートル以上で、精巧な幾何学的な模様やカリグラフィーの文字で飾られています。モスクのミナレットも注目すべきもので、高さ50メートル以上あり、周辺の壮大な景色を望むことができます。

ビビハニム・モスク / Bibi-Khanum Mosque
住所:MX6J+72W, Bibikhonim Str, Samarqand, ウズベキスタン
開館時間:9:00〜17:00
入場料:25,000スム(¥300)

ウルグ・ベク天文台

20141001_Uzbekistan_0658 Samarkand
20141001_Uzbekistan_0658 Samarkand / Dan Lundberg

ウルグ・ベク天文台は、1420年代にティムール朝の君主であったウルグ・ベクによって建設されました。中世イスラム世界において高い天文学的精度を持つ天文台として知られており、多くの天文学的研究が行われました。また、ウルグ・ベクによって365日、6時間、10分、8秒で決定された恒星年の長さや、グルガン・ジイと呼ばれる星空のカタログなどが注目されます。現在は、天文学の歴史に興味を持つ人々にとっては必見の博物館となっています。

ウルグ・ベグ天文台 / Ulugh Beg Observatory
住所:M2F4+W7M, Toshkent yo'li, Samarqand
開館時間:8:00〜20:00
入場料:25,000スム(¥300)

登録基準

登録基準(ⅰ)
古代文化の交差点に位置するサマルカンドの建築と街並みは、イスラム文化の創造性を示す傑作である。

登録基準(ⅱ)
ビビ・ハヌム・モスクやレギスタン広場など、サマルカンドの建築群は、地中海からインド亜大陸に至る全地域のイスラム建築の発展において重要な役割を担っている。

登録基準(ⅳ)
サマルカンドの歴史的な町は、その芸術、建築、都市構造において、13世紀から今日までの中央アジアの文化と政治史の最も重要な段階を物語っている。

サマルカンドへのアクセス方法

Aeroflot
Aeroflot / IQRemix

日本からは直行便がないため、ウズベキスタンの首都タシケントを経由するルートが一般的です。タシュケントへは韓国・仁川経由便やイスタンブール経由便がありますが、便数が少ないため注意が必要。また、タシケントからはタシケント・サマルカンド高速鉄道のアフランシヤブ号(約2時間)やバス(約5時間)で移動が可能です。
飛行機代は¥140,000〜



サマルカンドのホテル情報

最安値はムハラム・オナ・ホームステイで2,000円台、10,000円以上だとエミルハンのようなホテルに泊まれます。

サマルカンドまでの旅の予算

日本発のツアーは首都タシケントとブハラ、ヒヴァ、サマルカンドを周遊するツアーが一般的です。4〜8日間で88,000から。

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個人旅行の場合

往復航空券(アシアナ航空)
成田→タシュケント=140,000円

高速鉄道
タシュケント→サマルカンド=18万5000スム(¥2,400〜)

宿泊代
5000円✕4泊=20,000円

その他
入場料:1,000円

合計166,000円

基本情報

ウズベキスタンの基本情報

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