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13世紀に建てられたユニークなデザインの城塞「カステル・デル・モンテ」
カステル・デル・モンテ(イタリア語で「山の城」の意)は、イタリア南部プーリア州はアンドレアの町の南へ18kmの位置にある中世の城である。
1240年頃、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって建てられたその城は直径56mの八角形の珍しい形をしており、八角形の城壁の中には八角形の中庭があり、外壁にある8つの角に八角形の塔が付設。2階建ての各階にはそれぞれ8つの部屋があり、建物はおおよそ「8」に関連して作られている。
これはフリードリヒ2世が第6回十字軍の時、エルサレムで見た岩のドームや戴冠式のときに訪れたアーヘン大聖堂の集中式礼拝堂に触発されてこの形にしたと考えられ、また八角形は大地を表す「正方形」と空を表す「円」の中間を示す形と言われている。
標高540mの小高い丘の上、田園地帯の中にぽつんと建つ城には、堀も跳ね橋もなく防衛のための城ではなかったという説もあるが、考古学調査によれば周りに城壁があったことが示されている。城の各階にある浴室や暖炉、豪華な調度品、絵画、彫刻、タペストリーの数々から、おそらく王家の住居、または来客用として使われていたとも考えられるが、カステル・デル・モンテが建てられた明確な理由はいまだに不明である。
フリードリヒ2世の死後、フリードリヒ2世の庶子(本妻以外の女性との子供)マンフレーディは狩猟小屋として使用し、ヴェネヴェントの戦いでマンフレーディに勝利したフランス王ルイ9世の弟であるシャルル・ダンジュー(カルロ1世)は牢獄として使用。マンフレーディの妻と4人の息子、ホーエンシュタウフェン家の支持者が捕虜として幽閉された。マンフレーディの妻ヘレナは5年後に幽閉中に亡くなり、4人の息子たちも一生を獄中で過ごしたと言われている。
その後、内部の装飾品や大理石の柱などは奪い取られ、フリードリヒ2世が目にしていた美しい装飾は、いま見ることはできない。長い間放置された城は温度、湿度、風の影響で深刻なダメージを受けていた。内部の状況も同様で、いくつかの部屋の天井は崩れ落ち、崩壊の危機にあったが、1876年、イタリア政府によって購入され、1928年に修復が開始された。
ローマ古典様式、北欧シトー会のゴシック様式、イスラムの影響を受けた建築の融合などが評価され、1996年世界遺産に登録された。
住所:Strada Statale 170, 76123, Andria, Italia
開館時間:9:00〜18:30(10月1日〜3月31日)、10:15〜19:45(4月1日〜9月30日)
休館日:12月25日、1月1日
入場料:7ユーロ(一般)、2ユーロ(18歳〜25歳のヨーロッパ国籍)、無料(18歳未満)
URL:https://www.casteldelmonte.beniculturali.it/en/1/home
フリードリヒ2世
フリードリヒ2世は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世とシチリア王国の女王コンスタンツァのもと、1194年イタリア中部にある都市イェージ(Jesi)で生まれ、シチリア島のパレルモで育つ。
4歳の時にはすでにラテン語を習得済みで、12歳までにシチリア語、ドイツ語、フランス語、ギリシャ語、アラビア語の合計6種類もの言語を操り、数学、天文学、自然科学、詩、音楽、馬術、槍術、鷹狩りなど優れた才能は多岐に渡り「世界の驚異」と呼ばれていた。
1197年に父ハインリヒ6世を亡くし、4歳で王位を継承する。しかしあまりに幼すぎたためにハインリヒ6世の弟フィリップが皇位を継承するが、1208年にフィリップは確執のあったヴィッテルスバッハ家のオットー8世に暗殺される。その後ヴェルフ家のオットー4世が王位についた。
1220年、26歳で神聖ローマ皇帝に選ばれるが、1227年破門される。破門された状態で第6回十字軍を実行。アイユーブ朝のスルタン(君主)であったアル・カミールと和睦を結びエルサレムの無血返還に成功する。
1250年12月1日、鷹狩りの最中に病に倒れ、12月13日に運ばれたフィオレンティーノ城で息を引き取った。享年55歳。
カステル・デル・モンテの登録基準
登録基準(ⅰ)
北欧、イスラム、古代の文化的要素が調和し、完璧な形で表現されたカステル・デル・モンテは、創設者であるホーエンシュタウフェン家のフリードリヒ2世のヒューマニズムを反映した中世軍事建築のユニークな傑作と言える。
登録基準(ⅱ)
ホーエンシュタウフェン家のフリードリヒ2世と切り離せない関係にあるカステル・デル・モンテの建物は、ギリシャ、アラブ、イタリア、ユダヤの学者を混れるもの宮廷に集めた皇帝の国際的な精神を示している。このことから彼は近代人文主義者の先駆者の一人であることがわかる。
登録基準(ⅲ)
イエジで生まれ、シチリアで育ち、幼い頃から東洋の世界に魅了されたゲルマン皇帝の地中海政策を象徴するように、カステル・デル・モンテは地中海の偉大な文明の知的、道徳的要素をひとつの作品に集約している。
カステル・デル・モンテへのアクセス方法
Turkish Airlines 777-300ER / BriYYZ
カステル・デル・モンテに一番近い都市はバーリ。ターキッシュ・エアラインズでイスタンブールを経由してバーリへ。所要時間は乗り継ぎ時間も含めて18時間。
バーリからは、車で1時間弱の距離にある。
カステル・デル・モンテ周辺のホテル情報
バーリ周辺のホテル料金は3,000〜10,000円くらい。
・ディモラ・ベネデッタ
・カクタス
・ベストウェスタン・ホテル・エグゼクティブ
・パレス・ホテル
・iH・ホテルズ・バリ・オリエンテ
カステル・デル・モンテまでの旅の予算
カステル・デル・モンテが含まれた日本発のツアーは見当たりませんでした。現地ツアーに参加する必要があります。
個人旅行の場合
往復航空券
羽田→イスタンブール→バーリ(18時間)/ ターキッシュ・エアラインズ
=78,000円
宿泊代
4泊:3,000〜10,000✕4=12,000〜40,000円
レンタカー代
1日:3,000円〜
その他
入場料:7ユーロ
現地ツアー代(ベルトラ)
【プライベートツアー】楽々チャーターで巡る南イタリア感動紀行☆世界遺産カステル・デル・モンテとマテーラ<車貸切/アルベロベッロ発>(160EUR〜)
【貸切】白い町オストゥーニとアルベロベッロ市内観光ツアー プーリア州産ワインが楽しめるワイナリー見学あり!<試飲付/英語アシスタント/バーリ発着>(229.50EUR〜)
合計93,900〜164,000円(参考価格)