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フランスで最も大きなゴシック様式の大聖堂
アミアン大聖堂は、パリから北に120kmの位置にあるオー・ド・フランス地域圏のソンム県アミアンにある聖母マリアに捧げられた大聖堂である。
1220年から1288年まで、わずか68年というゴシック様式の大聖堂としては短い期間で建設されたためデザインに統一性を持ち、後陣にある放射状に並ぶ礼拝堂の配置はゴシック様式の原型とされている。
建築家はより多くの光を取り入れるために天井を高くした。その結果、アミアン大聖堂はフランスで最も大きくパリのノートル・ダム大聖堂を2つ含むことができるくらいの空間を持っている。面積は7,700m2もあり、当時のアミアンの人口1万人を収容することができた。西側ファサードから後陣までの長さは145m、トランセプトの幅は70m、地面から尖塔の先までの高さは112.7m、天井までの高さ42.3mでヴォーヴェにあるサン・ピエール大聖堂の高さ48mに次ぐフランスで2番目の高さである。
1204年、ピカルディ出身の十字軍兵士で聖職者だったワロン・ド・サルトンは第4回十字軍に参加し、コンスタンティノープルから略奪した際に洗礼者ヤコブの頭蓋骨を盗んだ。1206年に、当時のアミアンの司教のもとに貴重な聖遺物を持ち込んだ。
この聖遺物はすぐに有名になり巡礼の対象となった。巡礼者が増えたことによってロマネスク様式の教会では手狭になってしまった。その最中、1218年、ロマネスク様式の教会の尖塔に雷が落ちて建物全体が消失してしまった。
1220年、エヴラール・ド・フイイ司教は新しい大聖堂を建設することを決め、建築家ロベール・ド・リュザルシュに設計を依頼した。トランセプトの南側のポータル、黄金の聖母子像の柱の下にエヴラール・ド・フイイ司教が最初の石を敷き工事が始まった。
1230年頃には身廊は完成、1236年頃には西側ファサード、トランセプトの基礎部分は完成、1236年から1247年にかけて聖歌隊席、シュヴェ(アプス部分の屋根)、放射状の礼拝堂は作られた。1280年代、トランセプトと身廊の窓にステンドグラスが取り付けられ、身廊とトランセプトが交差する位置に尖塔が建てられた。
1288年、身廊の床に迷宮が作られ、その中央に最初の建設に携わったエヴラール・ド・フイイ司教と、建築家3人、ロベール・ド・リュザルシュ、トマ・ド・コルモン、その息子ルノー・ド・コルモンの名前がプレートに刻まれ大聖堂は完成に至った。
1862年に歴史的建造物に指定され、1981年、登録基準(ⅰ)と(ⅱ)が認められ世界遺産に登録された。1998年には、新たに「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」としても登録された。
西側ファサードとポータル
西側ファサードは3つのポータルと南北で高さの異なる2つの鐘楼、直径13mのバラ窓、22人のイスラエルの王が並ぶ王のギャラリーなどで構成されている。
中央のポータルには十二使徒に囲まれたイエス・キリストが飾られている。上部のタンパンは4段構成で「最後の審判」を表現している。最下段は墓場から目覚める人々とラッパを吹く天使の間に大天使ミカエルが天秤を持ち、死者の魂(善悪)を測っている様子を描いている。
その一段上、左側では、聖フランチェスコが長い衣をまとった人々を率いて天国に向かい聖ペテロに歓迎されている。右側では悪魔が恐怖に怯えた裸の人々を海の怪物リヴァイアサンの口(地獄の入り口)に押し込んでいる。その上の段ではひざまずく聖母マリアと聖ヨハネの間に手をかざすキリストの姿が描かれている。
最上段には、口から2本の剣を取り出し全体の上を飛んでいるキリストが描かれている。
Welleschik, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
右側の聖母マリアのポータルでは、2つの扉の間に幼いキリストを抱いた聖母マリアが蛇を踏んでいる像がある。タンパンは3段構成になっており、下段には旧約聖書の6人の預言者と中央に契約の箱が描かれ、中段は左右に別れていて、左側はマリアの埋葬の場面で、たくさんの使徒たちに取り囲まれている様子。右側はマリアが天使に取り囲まれて昇天する様子が描かれている。
上段はキリストの隣に座る聖母マリアが被昇天ののち、天国で戴冠する様子が描かれている。
Welleschik, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
左側のポータルは、スペイン人宣教師聖フィルマンが3世紀にアミアンに教会を設立したため、この扉は彼に捧げられている。タンパンは3段構成で、下段はアミアンの6人の司教と聖フィルマンの遺物を収めた箱が描かれ、中段は聖フィルマンの墓を発見して喜ぶアミアン市民、上段は聖遺物の入った箱がアミアンに運ばれている様子が描かれている。
主祭壇
バロック様式の新しい主祭壇は1751年に設置されたもの。アヴィニョンの建築家ピエール・ジョセフ・クリストフルが設計し、アミアン出身の彫刻家ジャン・バプティスト・デュピュイが彫刻を施した。大理石の上に金色の後光に囲まれた渦巻く雲、雲にはたくさんの天使が描かれ、その中央には鳩、全体で光の爆発を表し「光(神)」であるキリストの復活を象徴している。
迷路
身廊の床の中央にある黒と白の大理石で作られた全長234mの迷宮は、1288年に建築家ルノー・ド・コルモンによって作られた。このような迷宮は中世の大聖堂や教会でよく見られた。
巡礼者は、徒歩やひざをつき、瞑想しながら迷宮の道を歩くことで、エルサレムへの長く危険な巡礼の旅に出る代わりの仮想聖地巡礼の役割を果たしていた。
住所:30 Place Notre Dame, 80000 Amiens, France
開館時間:8:30〜17:15
URL:https://www.cathedrale-amiens.fr/en/
アミアンの大聖堂の登録基準
登録基準(ⅰ)
アミアン大聖堂は、主に1220年から1288年にかけて建てられたもので、内部の立面体の美しさ、彫刻装飾のすばらしさ、ステンドグラスなど、ゴシック建築の最高傑作とされている。
登録基準(ⅱ)
アミアン大聖堂は、その後のゴシック建築の発展に重要な影響を及ぼした。アミアンに残るいくつかの解決策は、記念碑的建物や彫刻における華やかなスタイルの到来を告げるものであった。
アミアンまでのアクセス方法
日本からパリまでは、エール・フランス、日本航空、全日空が直行便を運行している。パリからアミアンまでは、電車(TER)で1時間20分くらい。
アミアン大聖堂周辺のホテル情報
アミアンのホテルは1泊8,000〜
・オテル・ドゥ・ノルマンディー
・イビス・アミアン・サントル・カテドラル
・メルキュール・アミアン・カテドラル
・ユヌ・メゾン・オン・ヴィル・シャンブル・ドット
・オテル・プリューレ
アミアンまでの旅の予算
現在、行程にアミアンが含まれるツアーはおそらく存在しない。
フリープランのツアーでパリまで行き、各々電車でアミアンに行くしかない。
ツアー代金:140,000〜(+アミアンまでの電車代約20EUR)
個人旅行の場合
往復航空券(1都市滞在)
成田→ドバイ→シャルル・ド・ゴール空港(22時間)/ エミレーツ航空
=181,000円
電車代
パリ北駅→アミアン(1時間18分)
=23EUR✕2=46EUR
宿泊代
パリ3泊:10,000✕3=30,000円
アミアン1泊:10,000✕1=10,000円
ツアー代金
・WWIソンムバトルフィールドの日帰り旅行(199EUR)
合計227,200円〜(参考価格)
※燃料費の高騰や為替相場の変動などにより、価格が変更されることがよくあるので、金額はあくまでも参考程度にお考えください。